最初は肩の力を抜いて、気楽に、音楽に合わせて体を動かすということを楽しみに来てほしい。 | ダンススクール(教室)ならエイベックス・ダンスマスター

講師インタビュー

ダンススクール(教室)のエイベックス・ダンスマスター 講師インタビュー MAR「最初は肩の力を抜いて、気楽に、音楽に合わせて体を動かすということを楽しみに来てほしい。」
MAR

最初は肩の力を抜いて、気楽に、音楽に合わせて体を動かすということを楽しみに来てほしい。

ダンスを始めたきっかけは?

15歳(中3)の時に「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」というテレビ番組の企画でやっていた「ダンス甲子園」がすごく人気で、第二次ダンスブームと言われていた時代でした。でも田舎育ちの僕にとってはテレビの中の世界という感じで、あまり身近には感じられていなかったんです。そんな中である日クラスメイトがランニングマンをやっているのを見て衝撃を受けて、それでステップを教えてもらったのが最初のきっかけですね。当時はダンススタジオなんてものはなかったので、「ダンス甲子園」やZOO(ダンス・ボーカルユニット)のビデオを観たりしながら友達と一緒にステップを覚えて踊ってました。

その時からブレイクダンスもやっていたんですか?

当時は独学でHIPHOPとLOCKIN’をやっていました。その後BREAKIN’をやっていた社会人チームと一緒に練習するようになって、「BEAT STREET」っていうブレイクダンス映画のビデオを観て感動して、自分も始めました。それが高校を卒業したばかりの頃です。

ダンサーを志したのはその頃からですか?

その時はまだ全く思ってなかったですね。当時は会社勤めをしていたので、仕事が終わってからダンスの練習をしていました。ちょうどその頃「DANCE DELIGHT」というストリートダンスのフリーペーパーを初めて見て、破れるくらい読み込んで、「これに自分も載りたいな」と思ったのが最初に抱いた夢でした。載るためにはどうしたらいいんだろうと思っていたら、コンテスト情報があったので、それに出るために長崎県を代表する最強のBREAKIN’チームを組もうということになり、「Cool Crew」というチームを結成しました。

あの「Cool Crew Jr.とパパ」(MAR、TAISUKE、TOSHIKIから成る90年代に人気を博したBREAKIN’チーム)の前身というか本家ですね?

そうです。結成後、福岡であった大きなコンテストにCool Crewで出て優勝することができて、一旦その夢は叶えられました。でもCool Crewも社会人で組んでいたので、みんな仕事が忙しくて結局メンバーは僕1人になってしまったんです。だけどその優勝をきっかけに電話がかかってきて。地元にあったアクターズスクールのようなところにダンスを教えに来てくれという依頼でした。そこで初めて“ダンスを教える”ということを経験したんです。 初めてのことなので、どんなものなのかわからなかったんですけど、レッスンを受ける子どもたちがすごく真剣だったんですよね。4歳くらいの子が目に涙をためて「先週できなかったステップをもう一度教えてください」って言ってきたりして。そうした子どもたちの姿に衝撃を受けて、「自分ももっと一生懸命この子たちに伝えられるように頑張らなきゃ」って思いました。それまで独学でダンスを覚えていたので、しっかり教えられるように基礎から学び直そうとダンスレッスンのビデオを観たりして研究しました。


長崎時代のCool Crew Jr.とパパの写真

そこから指導者としての道が始まったんですね。職業をダンサー1本に絞ったのはいつからですか?

当時Cool Crew Jr.とパパが全盛期となりいろいろな東京や大阪のテレビ局やダンスイベントに呼ばれる機会が多くなっていたんですが、会社をそんなに休めなくなって会社の社長から「今の仕事かダンスを仕事にするかどちらか1本にした方がいい」と言われて、考えた末に辞表を出してダンス1本に絞りました。それでどうせなら東京に出ようと決心して、上京してきました。

結果的に社長の言葉が後押しになったんですね。上京してからはどのようにして道を切り開いていったのですか?

どうにかダンスで食べていけるようになりたいと思っていたんですけど、ツテが何もなかったので実際は厳しかったです。ある程度長崎にいた頃に全国でか活躍できてたので東京に行ったら自然とダンスの仕事が舞い込んでくるものだと思っていたのが甘かったですね。地元でどんなにキャリアを積んでいても、東京でまた一から積み上げていくしかありませんでした。だからと言って地元に帰るわけにはいかないと思って、まずはレッスンの代行からやっていきました。あとは自分でスタジオに売り込んだりもしましたね。代行で頑張っていたおかげで、生徒がスタジオに僕を推薦してくれて、自分のレッスンを持てるようになっていきました。

コツコツやり続けた努力が実ったんですね。長崎時代から始まり、長年“教える”ことを仕事のひとつとしてきたMARさんが、指導者として大切にしていることは?

楽しさを伝えるだけじゃなくて、“出来るようにさせてあげること”を一番大事にしています。1人ひとりに満足度を提供できるように。誰もがレッスンに来て何か一つでもプラスになって帰ってもらえたら、と思いながらやっています。

その為には具体的に何が必要ですか?

先生の情熱だと思いますね。あとは本人のやる気。その2つがひとつになった時に、踊りを覚える以上のものが生じると思うんです。生徒も十人十色なので、その人に合った伝え方があると思っています。だからそれを僕ら講師陣は探しながら教えていくんです。前に、教え子のTAISUKEとTOSHIKIと一緒にインタビューを受けた時に、2人が「MARくんが先生でよかった」って言ってくれたんです。それはなぜかと言うと、技術面だけではなく、ダンスを本気で取り組める道へ導いてくれたからだ、って話てくれました。 ダンスの楽しさだけじゃなくて、厳しさだったり、努力したら結果がついてくることの喜びだったり、そういうこと全てひっくるめて生徒たちに伝えるようにしています。だけどそれってダンスのレッスンだけでは伝わらないんですよね。ステップや技術といった表面的なものは伝えられるんだけど、もっと根底にある楽しさというものは、レッスン以外の時間を一緒に過ごす中で伝えられるものだと思っています。だから生徒とのコミュニケーションをすごく大事にしていますね。


現在のCool Crew Jr.とパパ

そうしたコミュニケーションを通してストリートダンスの背景、HIPHOPカルチャーなども伝えていくと。

そうですね。ファッションや音楽の歴史などの話もするんですが、特に中高生の生徒たちは興味を持ってくれます。そこから生徒たちのファッションもかっこよくなっていって、そういうのを見ているのも嬉しいんですよね。

それは嬉しいですね。ではMARさんの強み・武器とは?

"育成力"と“作品力”とには自信があります。「JAPAN DANCE DELIGHT」や「Legend TOKYO 」などの大会で好成績を収め、今は「Good Time Company」というカンパニーを作って活動しているんですが、「WORLD OF DANCE 」という大会の日本予選に2回出場して2度優勝をして世界大会でも3位に。そういうことからも自分は"育成力"と“作品力”が得意なのかな、と思います。この「Good Time Company」の子たちがDANCEでお仕事をしたいと思った時にその夢を叶えてあげれる環境を作れたらいいなと思っています。


Good Time Company集合写真


Good Time Company WORLD OF DANCE 世界大会3位


WORLD OF DANCE 世界大会3位

では今一番楽しいのはそのカンパニーでの活動ですか?

もちろんコレオグラフで新しい作品の世界を作っていくのは楽しいですが、やっぱりずっと“教え”っていうものを一番大切にしています。これまでバックダンサーや振り付けの仕事など色んなことを経験してきましたが、自分が一番楽しいと感じるのがレッスンなんですよね。

講師の鑑ですね。では最後に、これからダンスを始めようと思っている方へメッセージをいただけますか。

最初は肩の力を抜いて、気楽に、音楽に合わせて体を動かすということを楽しみに来てほしいですね。あとは本気にさせるのは僕ら先生たちの力なので。そこはお任せください! 一度体験してもらえたら、ダンスの楽しさを感じてもらえるはずです。

MAR

MAR

キッズダンス育成の第1人者として、その名をDANCE界に轟かし多数世界チャンピオンを輩出。 JAPAN DANCE DELIGHT vol.7 準優勝‬ / WORLD OF DANCE JAPAN 優勝‬ / Legend Tokyo chapter.6 準優勝‬ / WORLD OF DANCE FINAL 世界大会 3位とコレオグラファー、ダンサーとして活躍‬

お問い合わせの前に

お問い合わせいただく前に、 よくあるご質問をご確認いただきますとお問い合わせ内容に関する解決策が見つかるかもしれません。ぜひご活用ください。

お問い合わせフォーム

よくあるご質問をご確認頂いたのちでも解決しない場合はお問い合わせフォームからお問い合わせください。

お問い合わせフォーム